― Stanislas Dehaene『意識と脳』を読む ―

意識は脳内の情報共有空間「グローバル・ワークスペース」での大規模な神経発火だとする理論を軸に、その謎に科学が迫る。
意識とは何か。この問いは、哲学と科学における最も深遠で難解な問題の一つとして、長らく人類を魅了し、そして悩ませてきた。主観的な体験、クオリア、自己の感覚——これらはあまりにも捉えどころがなく、客観的な科学のメスを入れること自体が困難だと考えられてきた。しかし、21世紀の神経科学は、この聖域に果敢に踏み込み、意識を測定可能な物理現象として捉えようとしている。その最前線に立つのが、フランスの認知神経科学者スタニスラス・ドゥアンヌである。
意識とは、脳内の情報をグローバルに共有するための「ワークスペース」で起こる、大規模な神経活動の「点火」現象である。それは神秘的な霊気などではなく、客観的に検出し、測定できる物理プロセスに他ならない。
本書『意識と脳』でドゥアンヌが提示するのは、この「グローバル・ニューロナル・ワークスペース(GNW)」理論に基づいた、意識の科学的解明へのロードマップである。盲視やサブリミナル知覚といった奇妙な現象を手がかりに、意識と無意識の境界線を明らかにし、意識体験が生まれる瞬間の脳のダイナミクスを鮮やかに描き出す。本書は、意識という究極の謎を、思弁の対象から科学の俎上へと引き上げた、画期的な一冊と言えるだろう。
著:スタニスラス・ドゥアンヌ|原題:Consciousness and the Brain|邦題:『意識と脳』|出版社:紀伊國屋書店|邦訳初版:2015年
意識の謎を解く鍵は、意識にのぼらない情報処理、すなわち「無意識」の働きを理解することにある。その典型例が「盲視(ブラインドサイト)」と呼ばれる現象である。これは、脳の一次視覚野に損傷を負った患者が、視野の一部にある物体を「見えている」という自覚がないにもかかわらず、その位置や動きを偶然以上の確率で言い当てられる状態を指す5。彼らの脳は、本人が意識せずとも、視覚情報を確かに処理しているのだ。これは、意識的な知覚と、脳が行う情報処理とが分離可能であることを示す強力な証拠である。
同様の現象は、健常者においても「サブリミナル知覚」として観察される。極めて短時間だけ提示された単語や画像は、意識的な知覚には至らない。しかし、その後の課題における被験者の反応は、サブリミナルに提示された情報からの影響を確かに受けている。例えば、無意識下で「ネガティブ」な単語を見せられると、その後の判断が僅かに悲観的になる、といった具合だ。我々の思考や行動は、自覚している以上に、意識の閾下で処理される情報によって密かに方向付けられているのである。
これらの事実は、一つの根源的な問いを提起する。脳内で絶えず行われている膨大な情報処理のうち、何が、どのような基準で選別され、意識というスポットライトを浴びるのだろうか。なぜある情報は無意識の闇に留まり、別の情報は主観的な体験として立ち現れるのか。この「意識へのアクセス」のメカニズムこそ、ドゥアンヌがGNW理論によって解き明かそうとする中心的な問題なのである。
意識と無意識を分かつものは何か。ドゥアンヌが提唱する「グローバル・ニューロナル・ワークスペース(GNW)」理論は、この問いに明快なモデルを提供する1。この理論によれば、脳は多数の専門化された無意識的プロセッサの集合体として機能している。これらのプロセッサは、それぞれ特定の情報を並列的に処理しているが、その処理結果は通常、局所的な領域に留まる。しかし、その中の一つの情報が、ある閾値を超えて重要だと判断されると、それは「グローバル・ワークスペース」と呼ばれる長距離ネットワークにアクセスする権利を得る。
このワークスペースを構成するのは、前頭前野、頭頂葉、側頭葉などに広がるニューロン群である。ここに送り込まれた情報は、脳全体にブロードキャストされ、他の多くの専門プロセッサ(記憶、運動、言語など)が利用可能な状態になる。この広範な情報共有こそが、ドゥアンヌの言う「意識」の本質である。そして、このプロセスは単なる情報の伝達ではない。「点火(ignition)」と呼ばれる、なだれのような自己増幅的な神経活動を伴う。入力信号がワークスペースのニューロンを発火させると、それらのニューロンが互いに活動を強め合い、最終的に脳全体を持続的で大規模な活動状態へと遷移させる。この相転移こそが、主観的な意識体験が生まれる瞬間なのだ2。
この「点火」は、単なる理論上の概念ではない。脳波(EEG)測定において、被験者が刺激を意識的に知覚した際にのみ観察される「P3波」と呼ばれる特徴的な電位変動が、その客観的な証拠(シグネチャー)だと考えられている。刺激の提示から約300ミリ秒後に現れるこの大きな陽性の波は、情報がワークスペースにアクセスし、大規模な神経活動が「点火」したことを示す指標とされる。意識はもはや主観的な報告に頼るしかない神秘的な現象ではなく、測定可能な物理現象として、科学のメスが入り始めたのである。
GNW理論が描き出す意識の姿は、我々の直感に反する一つの奇妙な事実を浮き彫りにする。それは、意識体験が「遅れる」という問題である。前述のP3波が示すように、我々が何かを「意識した」と感じる瞬間は、外部からの刺激が網膜に到達してから少なくとも300ミリ秒(0.3秒)も後のことである。ボールが飛んできたのを見て避けるといった素早い反応は、意識的な判断が介在するよりも先に、無意識的な処理によって実行されている可能性が高い。
この意識の遅延という問題は、古くはベンジャミン・リベットの有名な実験によって提起された4。彼の実験では、被験者が自発的に指を動かそうと「意図した」瞬間よりも前に、脳では既に運動準備電位と呼ばれる活動が始まっていることが示された。これは、自由意志とは幻想であり、我々の行動は無意識的な脳活動によって決定され、意識はそれを後から追認しているに過ぎないのではないか、という大きな論争を巻き起こした。
ドゥアンヌのGNW理論は、この遅延に対して一つの説得力のある説明を与える。意識体験に必要なのは、単一のニューロンの発火ではない。それは、情報を評価し、選択し、そしてグローバル・ワークスペースを通じて脳全体にブロードキャストするという、一連の複雑なプロセスである。この情報の統合と大規模なネットワークの「点火」には、相応の時間が必要となる。300ミリ秒という遅延は、この情報処理に要する物理的な時間なのだ。意識は、世界を瞬時にスナップショットとして捉えるのではなく、少し前の過去を再構成し、安定した物語として我々に提示する、いわば「編集者」のような役割を担っているのかもしれない。
ドゥアンヌのGNW理論は、意識の神経メカニズムを説明する上で大きな成功を収めているが、唯一の理論ではない。現代の意識科学において、その最大のライバルと目されているのが、神経科学者ジュリオ・トノーニが提唱する「統合情報理論(IIT)」である3。IITは、GNWとは全く異なるアプローチをとる。それは、脳の構造や機能から出発するのではなく、「意識体験が持つ本質的な性質は何か」という現象学的問いから出発する。
トノーニによれば、意識体験には二つの根本的な特徴がある。それは「情報(information)」と「統合(integration)」である。我々の意識は、膨大な数の可能性の中から特定の状態が選ばれるという点で情報豊かであり、かつ、それらの情報はバラバラな断片ではなく、一つの統一された全体として体験される。IITは、この二つの性質を数学的に定式化し、「Φ(ファイ)」という指標で意識の「量」を測定しようと試みる。あるシステムが持つΦの値が高ければ高いほど、そのシステムはより豊かな意識を持つ、と考えるのだ。IITによれば、小脳のようにニューロンの数は多くてもその結合が単純な領域はΦが低く意識を生み出さない一方、大脳皮質のように複雑に相互結合したネットワークは高いΦを持ち、意識の座となる6。
GNWが意識の「機能」や「アクセス」を問うのに対し、IITは意識の「存在」そのものを問う。両者は必ずしも排他的ではないが、その力点は大きく異なる。GNWが昏睡や植物状態の患者の意識の有無を「点火」の有無で判定しようとする臨床応用でリードする一方7、IITはなぜそもそも物理システムが主観的な体験を持つのかという「ハード・プロブレム」の核心に迫ろうとする。この二大理論の競合と対話こそが、意識科学のフロンティアを切り拓く原動力となっているのである。
スタニスラス・ドゥアンヌの『意識と脳』は、意識がもはや哲学や思弁の対象ではなく、実証的な科学の対象となったことを高らかに宣言する書である。GNW理論が提示する「点火」という鮮やかなモデルは、主観的な体験と客観的な脳活動を結びつけ、意識の神経基盤の解明に大きな一歩を記した。盲視、サブリミナル知覚、そして意識の遅延といった現象は、もはや不可解な逸話ではなく、意識のメカニズムを解き明かすための重要な手がかりとして再配置された。
もちろん、これですべての謎が解けたわけではない。GNW理論とIITが提示する描像は、それぞれ意識の異なる側面を照らし出しており、どちらが最終的な答えとなるのか、あるいは両者を統合する新たな理論が必要なのかは、まだ誰にも分からない。そして何より、「なぜ」特定の神経活動が、あの赤色の感覚や、この喜びの感情といった、かけがえのない主観的な質(クオリア)を生み出すのか、という「意識のハード・プロブレム」は、依然として巨大な壁として立ちはだかっている。
しかし、確かなことは、我々はもはや暗闇を手探りで進む必要はないということだ。ドゥアンヌが示したように、我々は意識の「シグネチャー」を手にし、その活動を追跡し、操作することさえ可能になりつつある。科学は、意識という内なる宇宙の地図を、着実に描き始めている。我々は自らの意識を、どこまで客観的に理解し、その先に何を見出すのだろうか。その問いは、今まさに、私たち自身に開かれているのである。