― 宮坂昌之・定岡恵『免疫と「病」の科学』を読む ―

がん、糖尿病、動脈硬化、認知症――現代人を悩ませる多様な疾患の共通基盤は「慢性炎症」である。免疫棚の最終章は、この「サイレントキラー」を解き明かす。
Ⅳ棚は、自己の定義(Ⅳ-01)から始まり、発見の歴史(Ⅳ-02)、均衡の崩壊(Ⅳ-03)、がん免疫の制御(Ⅳ-04)を辿ってきた。
最終章は問う。なぜ「治らない炎症」が万病を引き起こすのか。
著者:宮坂昌之(Miyasaka Masayuki)、定岡恵(Sadaoka Kei)
邦題:『免疫と「病」の科学 ― 万病のもと「慢性炎症」とは何か』
出版社:講談社(ブルーバックス)
初版:2018年
📚 この本はクリニックの棚に置いてあります。
著者の宮坂昌之は、大阪大学名誉教授であり、長年にわたり免疫研究を牽引してきた日本の指導的科学者である。日本免疫学会会長も務めた経歴を持ち、免疫学の基礎から臨床応用まで深い知見を有する。
本書の中心命題は、「だらだらとくすぶるように続く『慢性炎症』こそが、がん、糖尿病、動脈硬化、認知症といった現代人を悩ませる多様な疾患の共通基盤(万病のもと)である」という点にある。
著者は、病原体排除のための正常な防御反応である「急性炎症」とは異なり、自覚症状に乏しいまま静かに進行する慢性炎症が、組織を徐々に破壊し、機能を障害していく「サイレントキラー」としての側面を強調する。
がんにおいては、慢性炎症が腫瘍微小環境を形成し、がん細胞の増殖・浸潤・転移を促進する。動脈硬化では、血管壁における慢性的な炎症反応がプラークの形成と破綻を引き起こす。糖尿病(2型)では、肥満に伴う脂肪組織の慢性炎症がインスリン抵抗性を誘導する。認知症(アルツハイマー病)では、脳内の慢性炎症がアミロイドβの蓄積と神経変性に関与する。
本書は、近年の免疫学、特に自然免疫と獲得免疫の相互作用、炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-6など)の役割、そして老化に伴う免疫機能の変容に関する研究成果に依拠している。特に、加齢とともに体内で微弱な炎症状態が持続する「inflammaging」という概念¹は、本書の主張を支える重要な科学的背景となっている。
2019年に『Nature Medicine』誌に掲載されたFurmanらのレビュー論文²では、社会・環境・ライフスタイル要因が全身性の慢性炎症(systemic chronic inflammation, SCI)を促進し、加齢関連疾患のリスクを高めることが包括的に論じられている。
慢性炎症の病態生理学的な特徴は、マクロファージやリンパ球といった単核球の浸潤であり、これらの細胞が産生するサイトカインや増殖因子が組織の損傷と修復を繰り返すことで、機能不全に至らしめる³。
Franceschiらが提唱した「inflammaging」¹は、加齢に伴い自然免疫系が慢性的に活性化される一方で、獲得免疫系の機能が低下するという、免疫系の二重の変容を指す。近年の研究では、これらが相互に関連し合い、全身の機能不全と加齢関連疾患を駆動することが示唆されている⁴。
※ ここからは本書の直接的な内容ではなく、本書を起点とした図書館独自の思索である。
他棚との接続
Ⅰ棚(老化)で扱う「老化」は、本書で論じられる「免疫老化」や「inflammaging」と不可分である。Ⅱ棚(脳)との接続も見逃せない。アルツハイマー病における脳内の慢性炎症(ミクログリアの活性化)は、神経変性の主要な駆動因子として認識されつつある。Ⅲ棚(代謝)で扱う糖尿病や肥満は、慢性炎症が引き起こす代表的疾患であり、代謝異常と免疫系の異常が密接に連関していることを示す。
哲学的含意
慢性炎症という概念は、身体全体に広がるシステムのエラーとして病を捉え直す視点を提示する。自覚症状なく進行する「サイレントキラー」は、私たちが自身の身体をいかに「知らない」かを突きつける。Ⅲ棚のInchauspéが血糖値スパイクという「見えない炎症の引き金」を可視化したように、慢性炎症の可視化と早期介入は、予防医学の最前線の課題である。
臨床への問い
ペインクリニックの臨床現場では、慢性疼痛の背景に慢性炎症が存在するケースは少なくない。痛みと炎症と免疫の三者の関係を解きほぐすことは、疼痛医療の未来にとっても重要な課題である。
慢性炎症は、免疫系の「静かなる暴走」である。
がん、糖尿病、動脈硬化、認知症――万病のもとに、免疫がいる。
Ⅳ棚はここで閉じる。自己の定義から始まり、発見の歴史、均衡の崩壊、がん免疫の制御を経て、慢性炎症という「見えない敵」に辿り着いた。免疫は、自己を守ると同時に、自己を蝕む。その二面性の中に、未来医療の核心がある。