― ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来』を読む ―

『サピエンス全史』の著者ハラリが、人類の次なる課題——不死・幸福・神性——を問う。AIとバイオテクノロジーが融合する未来で、ホモ・サピエンスはホモ・デウス(神人)へと進化するのか。医療の未来を考える上で避けて通れない一冊。
21世紀に入り、人類は長年の宿敵——飢饉・疫病・戦争——をほぼ制御下に置いた。では次に人類が目指すものは何か。ユヴァル・ノア・ハラリは本書で、その答えを「不死・幸福・神性」の三つに集約する。
「かつて神々だけが享受していた能力を、人間が手に入れようとしている。バイオテクノロジーとAIの融合が、ホモ・サピエンスをホモ・デウスへと変貌させるかもしれない。」
本書は単なる未来予測ではない。「意識とは何か」「自由意志は幻想か」「アルゴリズムは人間の感情を超えられるか」という根源的問いを、歴史・哲学・神経科学の交差点で問い直す知的冒険である。
著:ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)|出版社:河出書房新社|ISBN: 9784309227368|2018年
ハラリは本書冒頭で、20世紀の人類が直面した三大問題(飢饉・疫病・戦争)が解決されつつあることを示す。2016年時点で、テロより肥満で死ぬ人の方が多く、自殺者数は戦争死者数を上回る。これは人類の「成功」を意味するが、同時に新たな問いを生む。
21世紀の新たなアジェンダは三つだ。第一は不死(死の克服)——グーグルのカリコ社やレイ・カーツワイルが推進するアンチエイジング研究は、老化を「技術的問題」として捉える。第二は幸福の最大化——SSRIや遺伝子編集による「幸福の生物学的操作」。第三は神性の獲得——知能と身体の増強による「超人」の創造である。
医療の観点から見れば、これは「病気を治す医学」から「健康な人をさらに強化する医学」への転換を意味する。疼痛医学も例外ではない——痛みを「なくす」だけでなく、「痛みを感じない身体」を設計する時代が来るかもしれない。
本書の核心的主張の一つが「データ教(Dataism)」の概念だ。ハラリは、現代社会が「宇宙は自由に流れるデータの流れから成り、あらゆる現象や実体の価値はデータ処理への貢献度によって決まる」という新たな宗教を信奉しつつあると指摘する。
医療においてこの傾向は顕著だ。電子カルテ・ウェアラブルデバイス・ゲノム解析が生み出す膨大なデータは、個々の医師の判断を超えたアルゴリズムによる診断・治療選択を可能にしつつある。IBMのWatsonが腫瘍学的診断でエキスパート医師を上回った事例は、その象徴だ。
「アルゴリズムは、あなた自身よりもあなたのことをよく知っている。」
しかしハラリは問う——もし感情・直感・経験という「人間らしさ」がアルゴリズムに置き換えられるなら、医師という職業の本質的価値は何に残るのか。
ハラリは神経科学の知見を引きながら、「自由意志」が幻想である可能性を論じる。リベットの実験(脳が「動く」という信号を出してから、本人が「動こう」と意識するまでに約0.5秒の遅延がある)は、意識的決断が脳の無意識プロセスの事後承認に過ぎないことを示唆する。
これは疼痛医学に深く関わる。慢性疼痛の中枢感作理論——脳が「痛みを作り出す」——は、まさに「意識が現実を構築する」というハラリの主張と共鳴する。患者が「本当に痛い」と感じていても、それが末梢組織の損傷ではなく中枢神経系の誤作動である場合、「痛みの現実」とは何かという哲学的問いが生じる。
ハラリの問いは、疼痛医学者にとって他人事ではない。「患者の痛みを信じる」という臨床的姿勢は、神経科学的には「脳が作り出した信号を現実として扱う」ことを意味する。これは科学的謙虚さと人道的配慮の両立を求める。
本書を読み終えて、私が最も強く感じたのは「医療の目的の根本的転換」だ。20世紀の医療は「病気を治す」ことを目的とした。しかし21世紀の医療は「人間を強化する」ことへと向かいつつある。
疼痛医学の文脈で言えば、これは「慢性疼痛を管理する」から「痛みを感じない神経系を設計する」への転換を意味するかもしれない。遺伝子編集によるNaV1.7(痛みの主要チャネル)の機能喪失変異の再現、脳-コンピューターインターフェースによる痛み信号の遮断、AIによる個別化疼痛治療アルゴリズム——これらはすでに研究段階にある。
しかしハラリが警告するように、痛みを完全に排除した「ホモ・デウス」は、本当に幸福なのか。痛みは生命の警告システムであり、共感の源泉でもある。痛みを知らない神人は、他者の苦しみを理解できるのか。テクノロジーが神を超える日、私たちは何を失うのかを問い続けなければならない。