― 慢性痛の脳科学 ―

痛みは身体の警報ではなく、脳がつくり出す主観的体験である――熊澤孝朗は慢性痛のメカニズムを脳科学から解き明かし、急性痛から慢性痛への移行、中枢性感作、そして多角的な対処法を提示する。
Ⅵ棚(痛みと身体)を開く。
痛みとは何か。身体の損傷を知らせる警報か。それとも、脳が構成する主観的体験か。
熊澤孝朗は、痛みの本質が身体ではなく脳にあることを、神経科学の知見から明らかにする。
著者:熊澤孝朗(Takaaki Kumazawa)
タイトル:『痛みを知る』
出版社:東方出版(いのちの科学を語る 2)
初版:2007年
ISBN:978-4862490841
痛みには二つの経路がある。一つは感覚的側面――どこが、どのように痛いか。もう一つは情動的側面――その痛みがどれほど不快で、どれほど苦しいか。前者は体性感覚野で処理され、後者は前帯状皮質(ACC)や島皮質で処理される1。
熊澤は、慢性痛の本質がこの情動的側面にあることを強調する。急性痛では感覚的側面が優位だが、痛みが慢性化するにつれ、情動的側面が前景化する。患者が訴える「つらさ」は、組織損傷の程度とは必ずしも比例しない。
この二重構造は、痛みが単なる感覚入力ではなく、脳が能動的に構成する体験であることを示している。
急性痛は身体を守る警報システムとして機能する。しかし、その警報が鳴り止まなくなるとき、痛みは病そのものになる。
熊澤は、この移行のメカニズムとして中枢性感作(central sensitization)を詳説する。末梢からの持続的な痛み信号が脊髄後角のニューロンを過敏化させ、通常では痛みを引き起こさない刺激(触覚など)までもが痛みとして知覚されるようになる2。これがアロディニア(異痛症)である。
さらに、脳の下行性疼痛抑制系が機能不全に陥ると、痛みのブレーキが効かなくなる。セロトニンやノルアドレナリンを介した抑制経路の破綻は、慢性痛の維持に深く関与している3。
痛みが慢性化するとは、警報装置が壊れることではない。脳の痛み処理システム全体が再編成されることである。
Apkarianらの画像研究(2004)は、慢性腰痛患者の前頭前皮質の灰白質が健常者と比較して有意に減少していることを報告した4。痛みは脳の構造そのものを変える。
熊澤はこの知見を「痛みの記憶」という概念で説明する。繰り返される痛み体験は、海馬や扁桃体を介して情動記憶として固定化される。すると、痛みの原因が消失した後も、脳は痛みを「再生」し続ける。
この観点から、慢性痛は末梢の問題ではなく、脳の学習の問題として捉え直される。痛みの記憶が形成される過程には、シナプスの長期増強(LTP)と同様のメカニズムが関与しているとされる5。
ここに治療の糸口がある。脳が痛みを学習したのであれば、脳は痛みを「忘れる」こともできるはずだ。
熊澤は、慢性痛の治療が単一の方法では完結しないことを繰り返し強調する。薬物療法(NSAIDs、抗うつ薬、抗てんかん薬)、理学療法、認知行動療法、そしてマインドフルネスに基づくストレス低減法(MBSR)まで、多角的なアプローチが必要である。
特に注目すべきは、運動療法の位置づけである。適切な運動は下行性疼痛抑制系を賦活し、脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現を促進する6。これは痛みの記憶を上書きする「再学習」のプロセスと言える。
また、Ecclestonらのメタ分析(2014)は、認知行動療法が慢性痛患者の疼痛強度と障害度を有意に改善することを示している7。痛みの認知的側面に介入することで、脳の痛み処理パターンを変容させることが可能なのである。
熊澤孝朗は、痛みを「身体の信号」から「脳の体験」へと読み替えた。
痛みは身体にあるのではない。脳がつくり出している。だからこそ、脳を通じて変えることができる。
Ⅵ棚は、この問いから始まる。痛みとは何か。身体とは何か。そして、痛みと共に生きるとはどういうことか。