― 北原雅樹『慢性痛は治ります!』を読む ―

長きにわたり患者を苦しめる慢性痛。その正体は、単なる身体の損傷に留まらない。脳が痛みを記憶し、再構築する複雑な神経科学的メカニズムが関与している。本書は、この深遠なる痛みの本質を解き明かし、その呪縛から解放されるための新たな治療概念を提示する。
慢性痛は、現代医療が直面する最も困難な課題の一つである。日本では約2500万人が慢性疼痛に苦しんでいるとされ、その社会経済的損失は計り知れない。本書の著者・北原雅樹氏は、東京慈恵会医科大学ペインクリニック科の専門医として、多くの慢性痛患者と向き合ってきた臨床家だ。
本書が提示する核心的なメッセージは「慢性痛は治る」という希望である。諦めていた患者に、科学的根拠に基づいた治療の可能性を示す本書は、慢性疼痛医療の啓発書として重要な役割を果たしている。
北原雅樹. 慢性痛は治ります!―頭痛・肩こり・腰痛・ひざ痛が消える. さくら舎, 2018.
慢性痛の現代的理解において最も革命的な概念は、「痛みは脳で生成される」という認識だ。末梢組織の損傷が治癒した後も痛みが持続するのは、脊髄後角や脳における神経回路が変化し、痛みシグナルが増幅・持続するためである1。
この「中枢感作」のメカニズムを理解することで、なぜ画像検査で「異常なし」と言われても痛みが続くのかが説明できる。本書は、この複雑な神経科学的メカニズムを患者にも理解できる言葉で解説しており、患者の自己理解と治療への主体的な参加を促す点で高く評価できる。
本書が提示する治療アプローチは、薬物療法に留まらない包括的なものだ。神経ブロック、リハビリテーション、認知行動療法、生活習慣の改善など、多角的な介入の組み合わせが慢性痛治療の鍵であることを、具体的な症例を交えて解説している2。
特に注目すべきは、「痛みの破局化思考」への対処法だ。痛みを過大評価し、最悪の事態を想像し続ける思考パターンが慢性痛を悪化させることは、多くの研究で示されている3。本書は、この心理的側面にも踏み込み、認知の変容が痛みの軽減につながることを示している。
慢性痛患者が直面する最大の問題の一つは、「見えない病気」としての孤立感だ。外見上は健康に見えながら、激しい痛みに苦しむ患者は、周囲の理解を得られず、職場や家庭での関係が悪化することが多い。この社会的孤立が、さらに痛みを悪化させるという悪循環が生じる。
本書が患者向けに書かれた啓発書であるという点は、この文脈で特別な意味を持つ。患者自身が自分の病態を理解し、治療に主体的に参加することで、医療者との協働関係が生まれる。慢性疼痛の治療において、患者教育(ペインニューロサイエンス教育)の有効性は多くのランダム化比較試験で示されており4、本書はその実践的なツールとなりうる。
「慢性痛は治る」というメッセージは、単なる楽観論ではない。それは、神経可塑性という脳の根本的な能力に基づいた、科学的な希望だ。脳が痛みを「学習」したように、脳は痛みを「忘れる」こともできる。
Dr.Painとして、慢性痛患者と向き合う日々の中で、本書が示す「治る可能性」への信念は、患者と医療者双方にとって不可欠な羅針盤だと感じている。痛みの深淵に光を当てるこの書は、Ⅹ棚に相応しい一冊である。