― 奥真也『AIに看取られる日』を読む ―

「看取りもAIがやる」――医師であり医療未来学者でもある著者が、2035年の医療と介護をAI・制度・倫理の三層から立体的に描く。
「看取りもAIがやる」――この言葉に、嫌悪感を覚えるだろうか。それとも、もはや当然のことだと受け止めるだろうか。医師であり医療未来学者でもある奥真也氏の『AIに看取られる日』は、この挑発的な問いを入口として、AI技術が医療と介護の全領域をどこまで変えうるのかを、2035年という近未来の視座から精緻に描き出す。
テクノロジーはどこまで人間に寄り添えるか。その問いの答えは、技術の側にではなく、私たち人間の側にある。
著:奥真也(東京科学大学特任教授、医師・医学博士・MBA)|『AIに看取られる日 ― 2035年の「医療と介護」』|出版社:朝日新書|初版:2025年
本書の議論は、私たちが無意識に抱いている「名医」のイメージを解体するところから始まる。AIは人間の医師が一生かけても読みきれない量の医学論文と臨床データを学習し、画像診断においてはすでに専門医と同等以上の精度を達成している1。名医とヤブ医者の差は、AIの均質な精度の前に消失する。
Ⅶ-01『現代日本の医療問題』が指摘する医師不足と偏在の問題も、AIによる診断支援が普及すれば、その深刻さは大きく緩和される可能性がある。
ただし、奥氏はAIの万能性を主張しているわけではない。AIが誤診した場合の責任は誰が負うのか。本書は自動運転車の事故責任の議論を援用しながら、法的・倫理的な枠組みの整備が技術の進歩に追いついていない現状を冷静に指摘する2。
本書の中核をなすのは、ビッグデータとAIの融合が医療をどう変えるかという具体的なビジョンである。便座に座るだけで尿や便の成分が分析される「スマートトイレ」、ウェアラブルデバイスが常時収集するバイタルデータによるがんの超早期発見。こうした技術は、医療の重心を「治療」から「予防」へと決定的にシフトさせる。
そのとき、Ⅶ-02『病院がなくなる日』が描く「病院消滅」の危機は、むしろ「病院が不要になる」という希望に反転するかもしれない。
さらに注目すべきは、「デジタルツイン」の概念である。個人の遺伝情報、生活習慣、環境データをもとに、仮想空間上に「もう一人の自分」を構築し、そこで治療のシミュレーションを行う。実際の身体を傷つけることなく、最適な治療法を事前に検証できる3。
Ⅶ-01で論じた医療費の際限なき増大、Ⅶ-03で検証した国民皆保険制度の持続可能性。これらの構造的課題に対して、AI医療はどこまで「解」となりうるのか。本書はこの問いに対して、楽観と悲観の両面を提示する。
楽観的な見方はこうだ。AIによる診断の効率化は、不要な検査や重複する投薬を削減し、医療費の無駄を大幅にカットできる。デジタル治療アプリ(DTx)は、生活習慣病の管理を患者自身に委ね、通院回数を減らす。
しかし、奥氏は同時に、技術の進歩がかえって医療費を押し上げるパラドックスにも言及する。新しい治療法が次々と登場すれば、「治療可能な病気」の範囲が広がり、結果として医療需要そのものが増大する。さらに、美容医療への医師の流出(いわゆる「直美」問題)は、保険診療の担い手不足をさらに深刻化させる4。AIは医療費問題の「銀の弾丸」ではない。
本書が最も独自性を発揮するのは、AI医療の議論を「介護」の領域にまで拡張した点である。奥氏は「医療介護」という造語を提案し、医療と介護の連続性を強調する。
日本の介護現場は、深刻な人手不足に喘いでいる。ICT化の遅れは医療以上に深刻であり、紙ベースの記録が依然として主流の事業所も少なくない。こうした現場に、見守りセンサーによる転倒検知、排泄予測、服薬管理といった技術がどう貢献しうるのか。
奥氏はその先にある「寄り添いのAI化」という、より本質的な問いに踏み込む。体温、血圧、表情、微細な身体の動きを読み取り、最適なタイミングで最適な声かけをするAI。それは、人間の介護者よりも「上手に」寄り添えるかもしれない。しかし、そのとき「寄り添い」とは何なのか。Ⅶ-05が問う「医療は誰のものか」という問いは、ここで「介護は誰のものか」という問いへと変奏される5。
本書の終章は、最も重い問いに向き合う。医療技術の進歩は、人間の寿命を延ばし続けている。しかし、「長く生きること」と「よく生きること」は同義ではない。延命治療技術が高度化すればするほど、「死ぬ権利」をめぐる議論は避けて通れなくなる。
奥氏は、日本における安楽死・尊厳死の議論が、法的な明確さを欠いたまま「医師任せのグレーゾーン」に留まっている現状を批判的に分析する。AIが死期を高精度で予測できるようになったとき、「いつ、どのように死ぬか」という選択は、より切実なものとなる。
「AIに看取られる日」とは、AIが人間の死に際に物理的に立ち会うという意味だけではない。死の予測、緩和ケアの最適化、遺族へのグリーフケアに至るまで、人生の最終段階のあらゆるプロセスにAIが関与する未来を指している6。
本書の真の主題は「AIの看取り」そのものではなく、「今日の医療が技術や制度や価値観の変化の中でどう変わらざるを得ないか」という、より広範な問いにある7。
奥氏は一貫して、人間医師の「最後の砦」は「患者への寄り添い」だと述べてきた。しかし本書は、その「寄り添い」すらもAIが代替しうる可能性を正面から認めた上で、それでもなお人間に残るものは何かを問い続ける。その答えは、本書の中には明示されていない。なぜなら、それは読者一人ひとりが、自らの生と死に向き合いながら見つけるべきものだからである。
2035年は、わずか10年先の未来である。本書が描く風景は、もはやSFではない。