― 大脇幸志郎『「健康」から生活をまもる』を読む ―

過剰な医療化は人を幸せにするのか。「健康は目的ではなく手段に過ぎない」という逆説的な問いから、医療の本質に迫る。
現代社会において、私たちは「健康」であることを至上の価値と捉えがちである。しかし、その追求が時として私たちの「生活」を脅かすとしたらどうだろうか。医師・大脇幸志郎氏による『「健康」から生活をまもる』は、まさにその逆説的な事態に警鐘を鳴らす一冊である。
健康は幸福に直結しない。
著:大脇幸志郎|『「健康」から生活をまもる ― 最新医学と12の迷信』|出版社:生活の医療社|初版:2020年
多くの人が年に一度、半ば義務のように受けている健康診断。しかし、大脇氏はその有効性に根本的な疑問を投げかける。健康診断の目的は、病気の早期発見・早期治療を通じて、最終的に死亡率を減少させることにあるはずだ。だが、基準値という画一的な指標に一喜一憂し、数値を正常に戻すこと自体が目的化してしまうことで、かえって不要な不安や過剰な治療を生み出しているのではないか1。
本書は、健康診断がもたらす「過剰診断」のリスクを指摘する。これは、放置しても生命に影響のない変化まで「病気」として発見してしまう現象であり、結果として不必要な薬の服用や精神的負担につながる可能性がある2。
がん検診は、早期発見が生存率を大きく左右するがんとの闘いにおいて、強力な武器とされてきた。しかし、ここにも「過剰診断」という影が潜んでいる。技術の進歩は、これまで見過ごされてきた微小ながんを発見することを可能にしたが、その中には進行が遅く、生涯にわたって症状を引き起こさない「おとなしいがん」も含まれる3。
Ⅶ-04で論じた奥真也氏の『AIに看取られる日』が示すように、AIによる画像診断技術は飛躍的に向上しているが、その高い感度がさらなる過剰診断を招く危険性もはらんでいる。技術がもたらす恩恵を最大限に享受しつつ、その限界と負の側面にも目を向ける冷静な視点が求められる。
現代医療の根幹をなすEBM(Evidence-Based Medicine, 根拠に基づく医療)は、治療法の選択において客観的な科学的根拠を重視するアプローチである。しかし大脇氏は、このEBMが絶対的なものではないと指摘する4。
エビデンスとは、あくまで大規模な臨床試験から得られた「平均的な」結果に過ぎない。その統計的な正しさが、目の前の患者一人ひとりの人生の物語や価値観、そして「どう生きたいか」という問いにまで答えを与えてくれるわけではない。
EBMは重要な羅針盤であるが、それだけを頼りに航海することはできない。医師と患者が対話を重ね、エビデンスの光と影を理解した上で、個々の人生にとって最善の道筋を共に探していくプロセスが不可欠なのである。
本書が通底して訴えるのは、「健康は目的ではなく、より良い生活を送るための手段に過ぎない」というシンプルかつ強力なメッセージである。私たちはいつの間にか、健康診断の数値を改善することや、病気を予防すること自体を人生の目的としてしまいがちだ。
Ⅶ-01で論じた日本の医療制度の構造的課題は、こうした「過剰な医療化」と無縁ではない。医療が巨大な産業と化した社会では、患者はもはや生活者ではなく、医療サービスの「消費者」として位置づけられ、次々と新しい検査や治療が提供される5。
私たち一人ひとりが、自らの価値観に基づき、医療と適切な距離を保ち、時には「何もしない」という選択も含めて主体的に関わっていくこと。それこそが、「健康」という名の呪縛から自らの生活を取り戻すための第一歩となるだろう。
本書は、私たちに根源的な問いを突きつける。医療はいったい誰のためにあるのか。それは、国の財政のためでも、医療産業のためでも、あるいは抽象的な「健康」という概念のためでもないはずだ。
Ⅶ棚を通じて概観してきたように、日本の医療制度は深刻な構造的課題を抱え(Ⅶ-01)、病院や医師が消える危機に直面し(Ⅶ-02)、国民皆保険の持続可能性が問われ(Ⅶ-03)、AIという新たな変数が加わっている(Ⅶ-04)。しかし、その中心にあるべきは、常に個人の生活と尊厳でなければならない。
健康は幸福に直結しない。
この逆説的な一文は、Ⅶ棚全体を貫く問いへの、最も根源的な応答である。