― 上田実『改訂版・驚異の再生医療〜培養上清が世界を救う〜』を読む ―

名古屋大学名誉教授・上田実が解き明かす再生医療の最前線。iPS細胞の陰で静かに革命を起こしつつある「培養上清」——幹細胞が分泌する液体の中に、老化・炎症・慢性疼痛を制御する数千種のサイトカインが潜む。Dr.Painは、この書から慢性疼痛治療の新地平を読み解く。
iPS細胞の登場以来、「再生医療」という言葉は夢の治療法の代名詞となった。しかし、その華やかな舞台の裏で、より即座に、より安全に、より広く応用できる可能性を秘めた技術が静かに進化を遂げていた。それが「培養上清(ばいようじょうせい)」——幹細胞が培養液中に分泌するタンパク質・サイトカイン・エクソソームの総体である。
本書の著者、上田実は名古屋大学名誉教授であり、日本の再生医療研究の第一人者だ。顎骨再生・脂肪幹細胞研究において世界的な業績を持ち、培養上清の臨床応用に長年取り組んできた。本書は、iPS細胞一辺倒になりがちな再生医療の議論に、「幹細胞そのものではなく、幹細胞が出す液体こそが鍵だ」という革命的な視点を持ち込む。
上田実(著). 改訂版・驚異の再生医療〜培養上清が世界を救う〜. 扶桑社新書, 2022.
幹細胞を培養すると、細胞は増殖しながら培養液の中に多種多様な生理活性物質を放出する。この液体を遠心分離・ろ過して得られたものが培養上清(Conditioned Medium: CM)である1。その中には、成長因子(EGF、HGF、VEGF等)、抗炎症性サイトカイン(IL-10、TGF-β等)、エクソソーム(細胞間情報伝達を担う微小小胞)など、数千種類もの生理活性物質が含まれる。
従来の再生医療では、幹細胞そのものを患者に移植することで組織再生を図っていた。しかし、幹細胞移植には免疫拒絶・腫瘍化・コスト・保存性などの課題が伴う。培養上清は、細胞を使わずにその「効果のエッセンス」だけを取り出すアプローチであり、安全性・保存性・コスト面で大きな優位性を持つ。上田はこれを「幹細胞の薬局」と表現する。
培養上清が注目される最大の理由は、老化・がん・慢性炎症という現代医療の三大課題に対して、同時にアプローチできる可能性を持つことだ2。抗炎症性サイトカインは慢性炎症を抑制し、成長因子は組織修復を促進し、エクソソームは細胞間の「修復シグナル」を伝達する。
特に注目されるのが、老化細胞(セネッセント細胞)が分泌するSASP(老化関連分泌表現型)との拮抗作用だ。老化細胞が放出する炎症性サイトカインは周囲の組織を傷め、慢性炎症を引き起こす。培養上清中の抗炎症成分がこのSASPを中和することで、炎症老化(inflammaging)の進行を抑制できる可能性がある。
現在、培養上清は美容医療(肌の若返り・育毛)から始まり、変形性関節症・脊髄損傷・ALSなどの難病への応用研究まで、急速に適用範囲を広げている3。日本では自由診療として培養上清を用いた治療が行われているクリニックも増えており、上田はその科学的根拠と適切な使用法について丁寧に解説する。
一方で、培養上清の品質管理・標準化・規制の問題も指摘される。どの幹細胞を使うか(脂肪由来・骨髄由来・臍帯由来等)、培養条件、ロット差によって成分が大きく変わるため、「どの培養上清も同じ」ではない。上田は、科学的根拠に基づいた品質基準の確立を訴えており、玉石混交の現状に警鐘を鳴らす。
慢性疼痛の病態において、神経炎症(neuroinflammation)は中心的な役割を果たす。脊髄後角のミクログリア活性化・アストロサイトの反応性変化・末梢神経の炎症性変化——これらはすべて炎症性サイトカインによって駆動される。培養上清中の抗炎症成分(IL-10、TGF-β、IL-1Ra等)がこれらの神経炎症を抑制できれば、慢性疼痛の根本的な治療につながる可能性がある4。
実際、動物実験レベルでは、培養上清の脊髄腔内投与や静脈内投与が神経障害性疼痛モデルで鎮痛効果を示したという報告が複数存在する。ただし、ヒトを対象とした高エビデンスの臨床試験はまだ限られており、慢性疼痛への培養上清治療は「有望な研究段階」にある。Dr.Painとして、この分野の臨床試験の進展を注視したい。
『改訂版・驚異の再生医療』は、iPS細胞の陰に隠れた「培養上清」という技術の可能性を、第一人者が平易な言葉で解説した貴重な一冊だ。幹細胞そのものを使わずに、その分泌液だけで組織修復・抗老化・抗炎症効果を発揮するというアプローチは、安全性・コスト・保存性の面で従来の再生医療の課題を克服する可能性を持つ。
一方で、品質管理の標準化・長期安全性データの蓄積・保険適用への道筋など、解決すべき課題も多い。上田が訴えるように、科学的根拠に基づいた規制整備と、適切な臨床試験の実施が急務だ。培養上清が「世界を救う」日が来るかどうかは、これからの10年の研究成果にかかっている。