Ⅳ-04Ⅳ|免疫

がん免疫は「制御」できるのか

― チャールズ・グレーバー『がん免疫療法の突破口』を読む ―

読了 約4分
がん免疫療法の突破口 表紙
取り上げた書籍『がん免疫療法の突破口』チャールズ・グレーバー

100年以上にわたり「いかがわしい治療法」と見なされてきたがん免疫療法が、いかにして科学的ブレイクスルーを成し遂げたか。アリソンと本庶佑の物語。

Ⅳ-01で多田は「自己と非自己の境界」を問い、Ⅳ-03でリヒテルはその境界が崩れる4つの物語を描いた。

では、その境界を治療的に操作することは可能なのか。

グレーバーは、がん免疫療法の100年の物語を追う。

書誌情報

著者:チャールズ・グレーバー(Charles Graeber)

原題:The Breakthrough: Immunotherapy and the Race to Cure Cancer

邦題:『がん免疫療法の突破口(ブレイクスルー)』

出版社:早川書房(監修:河本宏、訳:中里京子)

初版:2018年(邦訳:2020年)

📚 この本はクリニックの棚に置いてあります。

Ⅰ|著者の立場

著者のチャールズ・グレーバーは、受賞歴のあるアメリカのジャーナリストであり、サイエンスライターである。『WIRED』や『The New Yorker』など著名な雑誌に寄稿し、アルフレッド・P・スローン財団のフェローシップを受けるなど、その科学的探求は高く評価されている。複雑な科学の物語を人間ドラマとして描き出すことに長けている。

Ⅱ|主張の骨格

本書は、がん治療に革命をもたらした「免疫チェックポイント阻害薬」の発見と臨床応用までの100年以上にわたる壮大な物語を描くノンフィクションである。物語の中心にいるのは、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・アリソン本庶佑をはじめとする科学者たちである。

グレーバーは、免疫システムが持つ「自己」と「非自己」を識別する能力に着目し、なぜ免疫ががん細胞を攻撃しないのか、という根源的な問いから筆を起こす。そして、免疫応答には「ブレーキ」の役割を果たす分子(免疫チェックポイント分子)が存在することを突き止めた科学者たちの発見を、スリリングに追っていく。

特に、アリソンがCTLA-4というT細胞の「ブレーキ」を解除する抗体を投与することで、免疫系にがんを攻撃させるという画期的なアイデアに到達する過程は、本書のハイライトである。それは、単にがんを攻撃するのではなく、免疫システムを「再教育」するという、まったく新しい治療パラダイムの誕生であった。

Ⅲ|科学的背景

本書が依拠する科学的知見の中核は、「免疫チェックポイント」の概念である。T細胞が活性化するためには、抗原提示細胞からのがん抗原の提示(シグナル1)と、共刺激分子によるシグナル(シグナル2)が必要である。しかし、同時にT細胞の表面にはCTLA-4やPD-1といった抑制性の受容体(ブレーキ)が存在し、過剰な免疫応答を防いでいる。

がん細胞は、この「ブレーキ」の仕組みを巧みに利用して、免疫系からの攻撃を逃れている。アリソンや本庶らの研究は、これらのブレーキ分子の働きを阻害する「免疫チェックポイント阻害薬」を開発することで、T細胞を再活性化させ、がんを攻撃させるという道を開いた。

Ⅳ|科学的補強

アリソンらが1996年に『Science』誌に発表した論文¹は画期的であった。抗CTLA-4抗体をマウスに投与することで、既存の腫瘍を拒絶させ、さらに二次的な腫瘍暴露に対する免疫記憶が成立することを初めて示した。

本庶佑らのグループは1992年にPD-1分子を同定した²。1999年、本庶らはPD-1遺伝子を欠損させたマウスがループス様の自己免疫疾患を発症することを報告し³、PD-1が免疫寛容の維持に不可欠であることを証明した。

臨床試験においても、Hodiらによる第III相試験⁴では、抗CTLA-4抗体イピリムマブが進行性悪性黒色腫患者の全生存期間を有意に延長することが示された。現在、免疫チェックポイント阻害薬は、悪性黒色腫、肺がん、腎がんなど、さまざまながん種で標準治療として用いられている。

◉ 発展章|思索の拡張

※ ここからは本書の直接的な内容ではなく、本書を起点とした図書館独自の思索である。

他棚との接続

Ⅳ-01で多田が投げかけた「自己とは何か」という問いに対する、臨床医学からの応答と捉えることができる。がん細胞は「自己」のふりをすることで免疫の監視を逃れる。免疫チェックポイント阻害は、この「自己」の定義をあえて揺さぶる試みと言える。Ⅰ棚(老化)との接続も重要で、加齢に伴う免疫老化はがん免疫監視の低下と直結する。

哲学的含意

免疫チェックポイント阻害薬の登場は、がんを「免疫との共存」あるいは「免疫による管理」の対象へと変える可能性を示唆した。自己の免疫力を「解放」して病を治すという治療法は、人間が本来持つ治癒力をどう捉えるかという哲学的問いを内包している。

臨床への問い

なぜ効く人と効かない人がいるのか。効果を予測するバイオマーカーは何か。副作用をいかにコントロールするか。本書が描いた「ブレイクスルー」は、ゴールではなく、新たな問いの始まりであった。

結び

がん免疫療法は、100年の挫折と再起の物語である。

免疫チェックポイント阻害は、がんを攻撃するのではない。免疫系を「解放」するのだ。

アリソンと本庶が開いた扉の先に、まだ見ぬ問いが待っている。Ⅳ棚は、次の一冊でその問いを「慢性炎症」という視点から閉じる。

参考文献

  1. 1.Leach DR, Krummel MF, Allison JP. Enhancement of antitumor immunity by CTLA-4 blockade. Science. 1996;271(5256):1734-1736.
  2. 2.Ishida Y, Agata Y, Shibahara K, Honjo T. Induced expression of PD-1, a novel member of the immunoglobulin gene superfamily, upon programmed cell death. EMBO J. 1992;11(11):3887-3895.
  3. 3.Nishimura H, Nose M, Hiai H, Minato N, Honjo T. Development of lupus-like autoimmune diseases by disruption of the PD-1 gene encoding an ITIM motif-carrying immunoreceptor. Immunity. 1999;11(2):141-151.
  4. 4.Hodi FS, O’Day SJ, McDermott DF, et al. Improved survival with ipilimumab in patients with metastatic melanoma. N Engl J Med. 2010;363(8):711-723.