Ⅳ-01Ⅳ|免疫

免疫は「自己」をどう決めるのか

― 多田富雄『免疫の意味論』を読む ―

読了 約5分
免疫の意味論 表紙
取り上げた書籍『免疫の意味論』多田富雄

身体的に「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系である――多田富雄は免疫学の側から「自己とは何か」を問い直す。胸腺での選別、サイトカインという言語、スーパーシステムとしての免疫、そして解体される自己。

Ⅳ棚(免疫)を開く。

免疫とは何か。感染を防ぐシステムか。がんを監視する機構か。

多田富雄は、もっと根源的な問いを立てた。免疫系こそが「自己」を定義している、と。

書誌情報

著者:多田富雄(Tomio Tada)

タイトル:『免疫の意味論』

出版社:青土社

初版:1993年

受賞:大佛次郎賞

📚 この本はクリニックの棚に置いてあります。

Ⅰ|著者の立場

多田富雄は東京大学名誉教授の免疫学者であり、サプレッサーT細胞(免疫応答を抑制するT細胞)の機能解明で世界的に知られた。免疫制御の第一人者であると同時に、能楽の新作を手がけるなど文学的素養にも秀でた科学者である。本書は、免疫学の専門知を一般読者に向けて開きながら、「自己とは何か」という哲学的問いを免疫の側から立てるという、きわめて独自の試みである。

Ⅱ|主張の骨格

本書の中心命題は明快である。身体的に「自己」を規定しているのは脳ではなく、免疫系である¹。

多田はまず、免疫系の最も根源的な機能が「自己と非自己の識別」にあることを示す。外部から侵入する病原菌やウイルスは非自己であり、免疫系はこれを認識して排除する。しかし多田が強調するのは、この識別が単純な二項対立ではないということだ。「非自己がなければ、自己もつくれない」。自己は最初から存在するのではなく、非自己との関係の中で事後的に成立する。

胸腺(thymus)においてT細胞は二重の選別を受ける。正の選択によって自己のMHC分子を認識できるT細胞だけが生き残り、負の選択によって自己の抗原に強く反応するT細胞が除去される⁴。この過程を経て初めて、免疫系は「自己」を定義する。

次に多田は、免疫系が「言語」を持つことを論じる。B細胞が抗体を産生するにはT細胞からの指令が必要であり、この指令を担うのがサイトカイン――多田の言葉では「免疫言語」――である。ヘルパーT細胞は免疫反応を促進し、サプレッサーT細胞はそれを抑制し、キラーT細胞はがん細胞やウイルス感染細胞を直接殺傷する。

そして多田は、免疫系を「スーパーシステム」と名づける¹。設計図なしに秩序が生まれる自己組織化のシステムであり、神経系や胚発生と並ぶ高次生命システムだと多田は位置づけた。

最終章「解体された『自己』」では、自己免疫疾患や臓器移植拒絶を通じて、免疫学的自己が崩壊する過程が描かれる。

「『自己』というのは、『自己』の行為そのものであって、『自己』という固定したものではないことになる」

Ⅲ|科学的背景

本書が書かれた1993年当時、免疫学は大きな転換期にあった。多田自身が研究の中心に据えた「I-J陽性抗原特異的抑制性因子」は、1980年代中盤に新しい研究手法の登場によって幻影であったことが判明していた。膨大な実験データに裏付けられた仮想分子が消滅するという経験は、免疫学全体に虚脱感をもたらした。本書は、その挫折を経た科学者が免疫系の「意味」を改めて問い直す試みとして読むことができる。

一方、胸腺での自己寛容の確立、サイトカインネットワーク、免疫記憶の仕組みなど、本書で解説される免疫学の基本原理は、30年を経た現在もその骨格が有効である。

Ⅳ|科学的補強

多田が描いた自己寛容の仕組みは、その後さらに精緻に解明されている。2002年、Andersonらは胸腺上皮細胞においてAIRE(autoimmune regulator)遺伝子が末梢組織の自己抗原を異所性に発現させ、これに反応するT細胞を除去することで自己寛容を確立することを報告した²。

多田が「サプレッサーT細胞」として追究した免疫抑制機構は、坂口志文らによる制御性T細胞(Treg)の発見によって再定義された³。1995年、坂口らはCD25陽性T細胞が免疫応答を能動的に抑制することを示し、多田の直観――免疫系には「抑える力」がある――は、形を変えて証明されたと言える。

スーパーシステムの概念に関しては、現代の精神神経免疫学がその先見性を裏付けている。Dantzerの総説(2018)⁷は、免疫系と神経系が双方向に情報を交換することを包括的にまとめている。

免疫老化(immunosenescence)に関しては、GoronzyとWeyand(2019)⁵が加齢に伴うT細胞の機能変化を詳細にレビューしている。胸腺の萎縮によるナイーブT細胞の減少、メモリーT細胞への偏り、慢性的な低レベル炎症(inflammaging)⁶の増加は、多田が「解体された自己」と呼んだ現象の分子的実態である。

◉ 発展章|思索の拡張

※ ここからは本書の直接的な内容ではなく、本書を起点とした図書館独自の思索である。

他棚との接続

本書を読み終えたとき、Ⅱ棚で扱ったラマチャンドランの問い――「自己はどこにあるのか」――が新たな意味を帯びて立ち上がる。脳の自己と免疫の自己。この二つの自己は、異なる物質基盤の上に成り立ちながら、驚くほど似た論理構造を持つ。

Ⅰ棚(老化)との接続も深い。免疫老化は老化の原因であると同時に結果でもある⁵。Franceschiらが提唱した「inflammaging」⁶は、Ⅲ棚で扱った代謝の問題とも交差する。免疫と代謝と老化は、三つの棚をまたいで一つの環を描いている。

哲学的含意

多田の「自己は自己の行為そのものである」という命題は、免疫学を超えた射程を持つ。固定的な本質としての自己ではなく、プロセスとしての自己。これは現代の哲学や認知科学が到達しつつある自己観と共鳴する。

臨床への問い

免疫チェックポイント阻害薬(抗PD-1抗体、抗CTLA-4抗体)によるがん免疫療法は、多田が論じた「自己と非自己の境界」を治療的に操作する試みである。自己と非自己の境界を動かすことの恩恵とリスクは、多田の問いがそのまま臨床の現場に降りてきたものと言える。

結び

多田富雄は、免疫を「自己を守るシステム」として描いたのではない。免疫を通じて「自己とは何か」を問うた。

免疫系は、自己を守るために存在する。しかしその「自己」は、免疫系自身が定義したものにすぎない。

この循環的な構造の中に、多田は生命の「意味」を見た。Ⅳ棚は、この問いから始まる。

参考文献

  1. 1.Tada T. The immune system as a supersystem. Annu Rev Immunol. 1997;15:1-13.
  2. 2.Anderson MS, et al. Projection of an immunological self shadow within the thymus by the AIRE protein. Science. 2002;298(5597):1395-1399.
  3. 3.Sakaguchi S, et al. Immunologic self-tolerance maintained by activated T cells expressing IL-2 receptor alpha-chains (CD25). J Immunol. 1995;155(3):1151-1164.
  4. 4.Palmer E. Negative selection — clearing out the bad apples from the T-cell repertoire. Nat Rev Immunol. 2003;3(5):383-391.
  5. 5.Goronzy JJ, Weyand CM. Mechanisms underlying T cell ageing. Nat Rev Immunol. 2019;19(9):573-583.
  6. 6.Franceschi C, et al. Inflammaging: a new immune-metabolic viewpoint for age-related diseases. Nat Rev Endocrinol. 2018;14(10):576-590.
  7. 7.Dantzer R. Neuroimmune interactions: from the brain to the immune system and vice versa. Physiol Rev. 2018;98(1):477-504.