Ⅰ-02Ⅰ|時間

若返りか、長寿か

― Nir Barzilai『SUPER AGERS』を科学的に読む ―

読了 約7分
SUPER AGERS(スーパーエイジャー) 表紙
取り上げた書籍『SUPER AGERS(スーパーエイジャー)』Nir Barzilai

一部の人はなぜ健康に長寿を享受できるのか?スーパーエイジャー研究から、遺伝子、成長シグナル、そして「健康寿命」という新しい目標を探る。

老化は、生命に刻まれた避けがたい運命なのだろうか。それとも、科学の力で介入し、制御しうるプロセスなのだろうか。この根源的な問いに、遺伝学の観点から光を当てるのが、アインシュタイン医科大学の老化研究の権威、ニール・バルジライ博士である。彼は、ニューヨークに住むアシュケナージ系ユダヤ人のうち、95歳を超えてなお健康を維持する「スーパーエイジャー」たちに着目した。彼らの驚くべき生命力は、単なる幸運や健康的な生活習慣の賜物ではなかった。その秘密は、彼らのゲノムに隠されていたのである。

本書の中心的な問いは、特定の遺伝的特徴が、必ずしも模範的な生活を送っているわけではない人々を、いかにして加齢に伴う病から守り、例外的な長寿をもたらしているのか、という点にある。我々が目指すのは、その遺伝子の恩恵を、科学の力で全ての人々にもたらすことだ。

著:Nir Barzilai|原題:Age Later: Health Span, Life Span, and the New Science of Longevity|邦題:『SUPER AGERS(スーパーエイジャー)』|出版社:東洋経済新報社|邦訳初版:2021年

Ⅰ|遺伝子が拓く健康長寿の地平

バルジライが研究対象とするスーパーエイジャーたちの生活は、健康長寿のステレオタイプとはかけ離れている。長年の喫煙者、毎日の飲酒、運動不足、そして決して健康的とは言えない食生活。にもかかわらず、彼らは心血管疾患、がん、糖尿病、認知症といった加齢関連疾患の発症率が著しく低い。この逆説的な現象の鍵を握るのが、「遺伝的保護因子」である。特に注目されるのが、CETP(コレステロールエステル転送タンパク質)APOC3(アポリポタンパク質C3)という二つの遺伝子に見られる機能欠損型の変異だ1

CETPは、善玉と呼ばれるHDLコレステロールを悪玉と呼ばれるLDLコレステロールに変換する働きを持つ。スーパーエイジャーに多く見られるCETPの機能が低下する変異は、結果としてHDLコレステロール値を高く維持させる。これは、血管壁に蓄積したコレステロールを除去し、動脈硬化を防ぐ上で極めて有利に働く。一方、APOC3は中性脂肪(トリグリセリド)の代謝を制御するタンパク質であり、この遺伝子の機能が低下すると、血中の中性脂肪値が低く保たれる。高い中性脂肪値が心血管疾患のリスクを高めることを考えれば、この変異もまた強力な保護因子として機能する。これらの遺伝的特徴は、不健康な生活習慣というマイナス要因を打ち消し、さらには健康上のアドバンテージをもたらすほどの力を持っているのである。

Ⅱ|成長のシグナルを抑制するという逆説

老化研究の世界では、「成長」が必ずしも善ではないという逆説的な考え方が主流になりつつある。若い頃の身体の成長と発達に不可欠な成長ホルモン(GH)と、その指令を受けて肝臓などで産生されるIGF-1(インスリン様成長因子1)からなる「成長の軸」は、成人期以降、その過剰な活性が細胞の老化を促進し、がんや代謝性疾患のリスクを高める「諸刃の剣」となる2。この仮説を裏付ける強力な人間での証拠が、エクアドルに存在する「ラロン症候群」の人々である。

彼らは成長ホルモン受容体の遺伝子変異により、GHが作用できず、血中のIGF-1レベルが極端に低い。その結果、彼らは極めて低身長となるが、驚くべきことに、がんや糖尿病の発症率がほぼゼロなのである。これは、成長シグナルの抑制が、ヒトにおいても強力な抗がん・抗老化効果をもたらすことを示唆している。バルジライの研究でも、スーパーエイジャーの女性は対照群に比べてIGF-1の値が低い傾向にあることが示されており、成長シグナルの抑制が長寿の一因である可能性を補強している。生物が持つ「成長・繁殖」と「維持・修復」という二つのプログラムのうち、前者を抑制することが、後者を活性化させ、結果として健康長寿につながるという考え方は、老化介入戦略の重要な柱となっている。

Ⅲ|老化介入薬の現実とTAME試験

スーパーエイジャーの遺伝的恩恵を、薬によって模倣することは可能だろうか。この問いに対する最も現実的な答えの一つが、古くから2型糖尿病の治療に用いられてきた薬「メトホルミン」である。メトホルミンは、単に血糖値を下げるだけでなく、細胞内のエネルギーセンサーであるAMPKを活性化し、成長シグナルの中心的な制御因子であるmTORを抑制するなど、老化の根源的なメカニズムに多角的に作用することが分かってきた3

この有望な候補薬の効果を科学的に検証するため、バルジライは大規模臨床試験「TAME(Targeting Aging with Metformin)」を主導している4。この試験の画期的な点は、特定の疾患ではなく、「老化」そのものを治療対象として設定していることにある。TAME試験では、数千人規模の高齢者を対象に、メトホルミンが心血管疾患、がん、認知機能低下といった複数の加齢関連疾患の発生を複合的に抑制できるかを検証する。この試験が成功すれば、FDA(米国食品医薬品局)が初めて「老化」を治療可能な適応症として承認する道が開かれ、老化介入薬の開発が飛躍的に加速する可能性がある。ただし、バルジライ自身も強調するように、メトホルミンが万能の長寿薬であるという結論は時期尚早であり、その真価はTAME試験の結果を待たなければならない。

Ⅳ|「若返り」ではなく「健康寿命」を目指す

老化研究について語られる際、「若返り(rejuvenation)」という言葉が頻繁に登場するが、バルジライはこの言葉が持つ非科学的で誇大な響きに警鐘を鳴らす。彼が目指すのは、時間を巻き戻すような魔法ではなく、より現実的で重要な目標、すなわち「健康寿命(healthspan)」の最大化である。単に長く生きる「寿命(lifespan)」を追い求めるのではなく、人生の最後まで自立した活動的な生活を送れる期間をいかに延ばすか。これこそが、現代の長寿科学が取り組むべき中心課題だと彼は主張する。

スーパーエイジャーたちは、まさにこの「健康寿命の延伸」を体現した存在だ。彼らの多くは、亡くなる直前まで大きな病気を患うことなく、認知機能も明晰なままである。彼らは加齢に伴う疾患の罹病期間を、人生の最終盤に極限まで圧縮しているのだ。この「疾患罹患期間の圧縮(compression of morbidity)」こそが、バルジライが理想とする老化の姿である。遺伝子の秘密を解き明かし、メトホルミンのような薬でそのメカニズムを模倣する試みはすべて、この健康寿命を万人に届けるための科学的な挑戦なのである。

◉ 発展章|長寿の遺伝子か、老化の情報か

バルジライの『SUPER AGERS』が、特定の「長寿遺伝子」に光を当てることで健康長寿への道筋を描き出すのに対し、老化研究のもう一人の巨頭、デビッド・シンクレアは『LIFESPAN』において、より普遍的な「老化の情報理論」を提唱する。シンクレアによれば、老化の本質とは、ゲノムというデジタル情報(DNA)の損傷ではなく、エピゲノムというアナログ情報の乱れである。この二つのアプローチは、一見すると異なる方向を向いているように見える。

バルジライのアプローチは、「なぜ一部の人は例外的に老化が遅いのか」という問いに、遺伝的保護因子という明快な答えを与える。一方、シンクレアの理論は、「なぜ全ての多細胞生物は原理的に老化から逃れられないのか」という、より根源的な問いに答えようと試みる。しかし、両者は対立するものではなく、むしろ相補的な関係にあると捉えるべきだろう。スーパーエイジャーが持つCETPやAPOC3の変異は、いわばエピゲノムの乱れという避けがたい濁流の中で、特定の重要な機能を守り抜くための強力な堤防のような役割を果たしているのかもしれない。また、メトホルミンが作用するAMPKやmTORといった経路は、まさにエピゲノムの状態を安定化させる上で中心的な役割を担っている。つまり、遺伝的アプローチと情報理論的アプローチは、異なる階層から同じ生命現象を記述しているのであり、その接点にこそ、老化の核心が隠されている可能性がある。

結び

『SUPER AGERS』が描き出す未来は、希望と問いに満ちている。遺伝という、生まれ持った「初期設定」が、かくも強力に人の健康と寿命を左右しうるという事実は、我々の運命観を揺さぶる。スーパーエイジャーたちは、我々が到達しうる健康長寿の一つの理想形を示してくれた。

では、彼らのような幸運な遺伝子を持たない大多数の人間にとって、この事実は何を意味するのだろうか。それは、自らの遺伝子に失望し、諦めるべきだという宣告なのか。それとも、科学の力がその遺伝的恩恵のメカニズムを解き明かし、薬という形で誰もがその恩恵を享受できる未来の幕開けを意味するのか。バルジライと彼のTAME試験は、後者の可能性に賭けている。遺伝子か、科学か。その答えは、まだ誰にも分からないまま、我々の目の前に開かれている。

参考文献

  1. 1.Barzilai, N., et al. Unique lipoprotein phenotype and genotype associated with exceptional longevity. JAMA, 2003.
  2. 2.Bartke, A. Growth hormone and aging: a challenging controversy. Clinical interventions in aging, 2008.
  3. 3.Barzilai, N., et al. Metformin as a tool to target aging. Cell metabolism, 2016.
  4. 4.Justice, J. N., et al. A geroscience-guided approach to preventing scenarios of concern: the TAME trial as a template. The Journals of Gerontology: Series A, 2021.
  5. 5.Sinclair, D. A., & LaPlante, M. D. Lifespan: Why we age—and why we don't have to. 2019.